僕が翻訳家になるまで ①
翻訳家になりたい人が多いのかどうか知りませんが、これは僕の職業でもあったわけですから、忌憚のない意見を述べたいと思います。
先述したように、僕が翻訳家になった理由はかなりいかがわしいものでした。とにかく剣道家になりたくて、しかしそんなに上手でもない僕にとっては、収入の道を確保することが重要だったわけです。それで翻訳家と剣道家の双方をめざす生活が始まったわけですが、結果的にはいくつかの、今思えば天の助けとしか思えない理由によって剣道を諦め、翻訳業への道を進むことになったのです。
ただし僕は諦めの悪い男で、今でもなお素振りを繰り返し、足腰を鍛え、竹刀は常に机の脇に於いてあります。つまり剣道家になることは諦めても、剣道の雰囲気のほうはすっかり身に付いている、と言ってもいいかもしれません。
20代の半ばに三段を取って以降、昇段試験にはすっかり興味をなくしてしまい、その後40 年ばかり試験を受けていませんので、段位はよくわかりません。しかしまあ、低く見積もっても後二、三段はあるでしょう。そんな僕の言うことですから、まあ、大したことでないことはお分かりですよね。
しかし僕は真剣だったのです。ですから、友人の中には武道家がかなり沢山いらっしゃいます。そのうちの一人は、同年配で、札幌で道場を開いている古武道師範です。僕は彼と二度真剣に立ち合い、その二度とも完膚なきまでに叩きのめされました。
僕はその時どう思ったか? 相手の実力を素直に認めると共に、自分は武道を目指さなくてよかった、と心から感謝したのです。要するに、僕の武道は素人に毛が生えたみたいなものだったのです。
そして僕は不承不承ながら、翻訳家への道を歩き出したのです。この“不承不承”の精神はいまだに僕の中に住みついています。翻訳業に感謝しながら、他にも道があったはずだという思いが消えません。それが80歳の今の僕にとっても、最もいやらしいところだと言えるでしょう。