翻訳家になるには? #4
ただ、僕は一つだけ申し上げたいことがあります。それは、文藝翻訳家を目指す方は何としても、日本語の小説――それも、現在巷に溢れているような意味不明のブックスではなく――を浴びるほどに読んでもらいたいということです。僕が一番腹の立つのが、いわゆる英文科の生徒です。もちろんこれには例外がいくらでもあるでしょうが、とにかく、英語が好きだから翻訳をやってみたい、と言うおかしな連中です。僕には絶対に理解できませんね、巷に溢れる廉価本をチョコチョコ読んで、それでアタシも翻訳家になりたいなんて“ほざく”連中が。
昔、東京では、翻訳学校に通う生徒たちが出版社の編集員をお客に呼んで、花見の会を催したことがあります。実に何とも奇妙な連中で、それが盛会だったと聞いて、僕はしばらく空いた口が塞がりませんでした。小説を扱う人間がそんなみっともない真似をするなんて、と僕は大いに憤慨したものです。
文学である以上、それを扱う人間にとって最も必要なものは、「孤と個」の精神でしょう。口先だけの孤と個など何の足しにもなりません。今日、皆さんにお伝えしたかったのはそのことだったのです。
文学である以上、人は孤と個に生き、孤と個のうちに死んでいかなくてはならない。それがわからないようなら、貴方はまず絶対に文藝翻訳には手を伸ばすべきではないのです。「孤と個」に生きる人間が紡ぎだす“文学”。それを「英語が好きだから日本語に訳してみたい」こんな甘っちょろい考えが通用するようでは、もう世も末としか言いようがありませんね。