翻訳家になるには? #3
しかしそんな僕が北海道へ来て、出版社を興し、文藝翻訳学校を始めて若い人々を指導しているのですから、これはもう奇跡としか呼べないではありませんか。僕は英語の書物を読んだことはほとんどありません。仕事でなら、それこそ何千冊と読んでいますが、自分が好きで読むものは日本語の小説と決まっているのです。つまり、太宰治、三島由紀夫、丸山健二らの作品です。彼らの作品はそれこそ繰り返し、繰り返し、滅多やたらと読んでいます。しかし、翻訳家になるにはどうしたらいいか? 僕は正直なところ、途方に暮れるしかありませんね。
僕はこれまでに、二冊の翻訳に関する本を出しています。『誤訳も芸のうち』と『R・チャンドラーの「長いお別れ」をいかに楽しむか 清水俊二vs村上春樹vs山本光伸』です。それからもおわかりのとおり、僕の作品は翻訳とは何かではなく、僕はこう訳した、で終わっているのです。つまりは、格好良く言うならば、僕独自の翻訳論ということになるでしょうか。となると、翻訳家になるにはどうしたらいいか、という一般論ではなく、貴方にとって翻訳とは何か、と訊いていただくなら、僕は何とかお答えできるように思います。
では、僕にとって文藝翻訳家とは何か? いゃあ、そうは言っても、難しい質問ですね。こんなところであっさりと書けるようなことでもなく、もし興味がおありなら、先の二冊を読んでいただければと思います。もしご連絡いただければ、差し上げますのでどうぞ。
日本での文芸翻訳家とは、日本語以外の言語で書かれた小説を、日本語に訳す人のことを言います。これは当然ですよね。しかしなぜ、日本にはこんなにも多くの“翻訳家”が存在するのか。これはもうびっくりします。他の国のことはよく知りませんが、おそらくは世界でも珍しい国ではないでしょうか。
ちょっと英語を勉強し、日本文学もあまり読んだことのない若者たちが、大勢翻訳学校の門を叩くのです。これほどいい加減な生き方もないでしょう。僕は今、深く反省しています。ちょっと英語が好きで、ちょっと日本文学と親しんだくらいで、どうして翻訳家の真似をしてきたのか、と。何とも恥ずかしいかぎりです。