父の死に際 ②
僕は愕然としました。何が何だかよくわからないままに、僕はタクシーを呼んで逗子から東京まで駆け付けました。愕然とはしたものの、僕は比較的冷静だったようです。親父はもう十分に生きたんだ、という思いが強く迫って来たのです。第二次大戦を生き抜き、男の子3人を妻とともに育てながら、文句一つ言わずに、家族に尽くしてくれた。親父さん、有難う! 僕にはその他の言葉が思い付かず、一時間ばかりの間、タクシーの中でその言葉をずっと繰り返していたのです。
病院のフェンスをよじ登って中へ入ると、守衛にすぐに地下の霊安室へ案内されました。僕はやはりそうだったかと思っただけでした。霊安室には、家族が揃っていました。弟の姿が哀れでした。もうすっかり打ちひしがれているのです。自分が勤める病院で、しかも弟が主治医でありながら父を亡くしたのですから、当然と言えば当然でしょう。
母は長椅子に横になり、兄と弟は遺体と向かい合うように立って、僕が入ったことにも気づかないようでした。僕は真っ直ぐに父の遺体に向かい、そこで狂ったように、何十回となく「お父さん、ありがとう」と繰り返しました。
父の病室は7階にありました。そこまで僕が荷物を取りに行くことになったのですが、急に思い出したのが例の自律神経失調症でした。親父の大切な日だぞ。一刻の猶予もないんだ、そう怒鳴りつけても、どうしてもエレベーターに乗れないのです! 僕は7階まで一気に駆け上がり、荷物を手にまた戻ったものでした。
その翌日、逗子の自宅で葬儀が営まれました。僕はあのような葬儀を見たことがありませんでした。とにかくウチの部屋と言う部屋には人が溢れているようなのです。みんなが泣いています。僕も親友のTの顔を目にした途端に、涙が溢れ出し、人目も憚らずに泣いたものでした。悲しかったです、本当に。「お父さん、ありがとう」と、もう一度言わせてもらいます。