宗教と僕 #3
新興宗教に関して思うことだが、日本人はだいたい、信者と無関心派の二種類に大別されるようだ。僕はしかし、その宗教に関心を持ちながらも、無信者でいる人が必要なのではないかと思うのだ。
彼らは一年に一度、大祭を取り行う。僕も何度となく出席しているが、出席者の大半は背広を着た業者で占められている。しかも一流の企業ばかりである。さり気なく彼らの話を聞いていてわかるのは、両者がどれだけ実社会で持ちつ持たれつの関係にあるかということである。この企業にはこれをやらせる、あっちの企業にはあれを、といった具合に世の中は〝金〟の論理で動いているのだ。
僕はそういったことに目くじらを立てるほどの馬鹿ではないが、何となく釈然としないのも事実なのである。僕が理想とする宗教は、やはり、経済とは無縁の世界で人々に幸福をもたらすものなのだ。
日本の老女が毎日畑に立ち、朝に晩に太陽に向かって深々と頭を下げる。何を頼んでいるかは知らないが、祈りを終えた老婆の顔はにこやかに微笑んでいる。それでいいではないか、と僕は思うのだ。
自分の人生を豊かにするために神を必要とするのではなく、我が身を襲った不幸をよろしく頼みますと願う気持ち、それが本来の信仰ではないかと思うのだがいかがだろう。宗教に多くを求めてはならない。ただ人知に余るところを神にお願いするだけの、きわめて謙虚な形の宗教というものに僕は憧れているのである。