幸せな貧乏人 ①
今回は、自分の不得手なこと(?)に触れたいと思います。それは何かと言えば、人のために何かをするということです。人が苦境にあれば助けたり、悩み事があれば相談に乗ったり……。僕にはしかし、こういうことはごく自然なことのように思えるのです。つまり、得てとか不得手とかいうことではなく、僕はいつも人のために生きているつもりだったのです!
もっと言えば、この「自分にとって不得手なこと」という題目に触れた時、僕はさんざん考えてしまったのです、不得手なこととは何だろうと。いろいろと答えはありますからね。人助けなどわざわざしたことがあるだろうか、という気がしてなりません。するうちにふと思い出したのです。そうだ、お金のことがあるじゃないか、と。
言い換えれば、僕にとってお金とはそういうものだったのです。簡単に言うなら、お金を持っている人がみな立派な人ではないということでしょう。僕は幼い時からそのような思いでいたようです。父は職業軍人で、終戦と同時に一般人となりました。したがって我が家の生活はどん底と言っていいような状況でした。両親には息子が三人います。五人家族の戦後の生活はまあ、惨めなものでしたね。
それでも、僕たちは両親から、生活が大変だという話は一回も聞いていないのです。我が家には夫婦喧嘩も、親子喧嘩も、そして子供の喧嘩も一切ありませんでした。喧嘩がなかっただけでなく、兄弟はいつも相手の幸せを考えているようなのです。いえ、そんな馬鹿なという声も聞こえてくるようですが、少なくとも、僕が覚えている限りでは常にそうなのです。 我々は本当に仲の良い家族でした。したがって言い争った思い出もありません。ただし一回だけ、僕は高校一年の時に親父から殴られたことがありますが。
親父か亡くなった時、僕の知る限りでは一文のお金も残っていませんでした。我々は、いやぁ、お葬式を出せてよかったね、と話し合ったものです。今にして思えば、逗子で医者をしていた母方の親族の支援があったのではと思いますが、詳しいことはわかりません。そんな状況で、僕はお金の心配をしたことがありませんでした。つまり、余計なものを買いたいという気が全く起こらなかったのです。