自分の小説を手にして ③
その態度は10年経っても変わらず(正直に言えば、読書好きは僕の一生の性癖になったのですが)、様々の本を読み進むにつれて、僕も書いてみたいと思うようになったのです。ただ、20代の初めから”文武両道”に憧れていた僕は、その頃から剣道に熱中していました。文学と剣道――何だか三島由紀夫を思い出しそうですが、楯の会はまだ後のこと――僕はこの二つを両立させようと必死だったのです。何しろ一年365日、一日も休まずに、それも何年となく稽古するのですから大したものでしょう!
大学生活を8年かけて考えた末に、僕は剣道を優先させ、仕事は文芸翻訳家で良いと考えました。文芸翻訳の方はお陰様で、きわめてスムーズに進み、『ゴッドファーザー』の下訳から『トップガン』、ジェイソン・ボーン・シリーズ『暗殺者』などのベストセラーに恵まれ、仕事量も俄然多くなったのです。
しかし30代に、僕は剣道で身を立てる術を諦めざるを得ず、また文芸翻訳を辞めるわけにもいかなくなると、僕の中ではまた、自作品への夢が頭をもたげてきました。そして僕は翻訳業の傍ら、勉強のつもりで自分の作品を書き始めたのです。これは、翻訳家の中には自分の作品を書けなくてもいいと考える人が極めて多く、そのことへの反発でもあったのです。そしてまた同時に、何人かの翻訳家が自作品を発表することへの反発もありました。彼らは明らかに、自作品を翻訳作品よりも上だと判断しているのです。
そんなわけで、僕の作品は僕だけの楽しみとして書き飛ばしていました。そして80代になってから、つまり文芸翻訳家を辞めて以降初めて、書き飛ばしていた自筆の原稿を調べ直してみたのです。何十年も前の作品もあります。僕の興味は人間の“生き死に”でしたから、内容的には古くなってはいません。冊数は40近くあります。中には800枚近い大作もあります。気が付いた点をチェックしながら、集め直してみました。すると、何と、面白いのです!
僕は柏艪舎の社員たちと相談し、思い切って電子書籍で発表することにしました。皆さん、どうぞ読んでみて下さい。すでに2冊が発表されており、紙の本でも読めるようになりました!『乾杯!』と『光る道』です。80歳からの人生がどうなるかはわかりません。スタートが遅すぎるのかもしれませんね。しかし僕は頑張るつもりです。人生最後の“賭け”に僕は今嬉しくてなりません。皆さんと共に、これを喜びに変えて行きたいと思っています。