自分の小説を手にして ②
そうして一年ばかりが経ったとき、友人の父親に路上で掴まりました。どういうわけか、彼は僕の秘密のはずの“計画”を知っていたのです。そして、本気なのか、と僕に訊いたのです。僕も仕方なく、本気ですと答えました。すると彼は恐ろしく真面目な顔をして、わかった、受ける気なら受けてみろ、そしてもし君が受かったら、自分は逗子の町中を逆立ちして歩いてやる、とおっしゃったのです!
彼は東大のラグビー部で活躍した、大柄な男でした。中学時代には、ボクシングのグローブをどこかから持ってきて、彼の息子と僕を殴り合わせたものでした。こちらはとにかく人を殴るなど初めてのことで、どうしても力いっぱいに殴れません。すると彼は、じゃあわしを殴ってみろ、と言って、僕たち二人に自分の素顔を思い切り殴らせたのです。もう65年以上前のことなのに、僕はまだ昨日のことのようにそれを覚えています。
今、思えば、あれこそが教育の原点なのですね。僕には今それがはっきりとわかります。その彼も、そして息子も、今はもうあの世へ行ってしまいました。本当に、僕は残念でなりません。今となっては、お二人の幸せを祈るしかないのですから。
とにかく、そのような大の大人が本気でそんなことを言うのですから、僕は身体を震わせて怒りました。わかりました、と言って自宅に帰って来たのですが、それ以降はますます勉強に熱中したものです。彼の態度はまさに、教育者の取るべき態度だったと今にして思います。また、僕の父親も勉強については一言も言いませんでした。俺は自分の人生を頑張るから、お前も頑張れといった態度なのです。これも本当に有難かったと思います。
そうして僕はAFSの試験を受け、無事にパスしました。そうして一年後に日本に帰り着いた僕には、大きな変化が待ち受けていたのです。僕は世界のことを何も知らない、という明確な事実に突き動かされたのです。帰国して翌日、僕は本屋に出かけ、本をたっぷりと買い込んできました。今でも覚えていますが、『太宰治全集』と福田恒存の『反近代の思想』でした。特に後者などは聞くのも目にするのも初めてでしたが、僕はそれらの書籍をわからないなりに必死で読んだのです。