自分の小説を手にして ①
さて、皆さん、僕にとって最高の朗報が飛び込んできたのです! ご承知のように僕のオリジナル作品は現在、電子書籍で読んでいただいておりますが、この度、弊社社員たちの有難い協力で、 一応の本の形でお見せできることになったのです。
一冊に付き100部ですからささやかなものですが、イラストレーター、小林龍一さんの絶妙な表紙を始め、本の出来はもう完全に“プロ並み”です! 僕は翻訳家ですから、何百冊という自分の名前の載った作品を手に取ってきました。しかし今回の二作品にはかつてない感動がありました。人生80年を経て、ようやく辿り付けたという強い感謝の気持ちです。この出版に協力してくれた社員たちにも大感謝です。あとは内容ですが、これはもう皆さんの反応こそが頼りです。どうぞお読みになってみてください。
今日はもう少し、自分の小説について話してみようと思います。我が家は父親と二人の兄弟が揃って理工系です。父親は海軍機関大学を出ていますし、兄は経済、弟は医学です。つまり僕だけが文系だったのです。家の中ではしかし、そんなことに気づきもせず、すこぶる仲の良い一家でした。
これは思うに、母親の力でしょうね。今にして思えば、我が家では息子がそれぞれ何をしようが一切関係なかったようなのです。そのような類のことを話し合ったという記憶がありません。ただ一回、僕がAFSの留学試験を受けようと張り切って勉強を始めたとき、母がある夜僕の部屋へやって来て、何をするつもりかと訊いたことがあります。僕がアメリカへ行きたいんだ、と言うと、母はちょっと首をひねって、だったら精一杯頑張らなくちゃね、と言って戻って行ったのです。
これにはたぶん、母親もビックリしたろうと思うのです。なぜかと言うと、僕は中学時代の英語クラスは皆目理解ができず、成績も劣悪で、いつも日本語の小説を読んでいました。何しろ65年も前の話ですから、それでも何とかなるはずだったのです! そして高一になり、AFSの話を聞いてどうしてもアメリカに行きたいと思った僕は、その日から古い中一の英語リーダーを引っ張り出したのです。
もし僕が英語の留学試験を受けるなどと言ったら、友人たちをはじめ皆から馬鹿にされることは疑いありません。ですから必死でした。毎日、毎日、一日に何時間も英語の勉強をするのです。僕がそんな思いでいることを知っているのは、母親と、そしておそらくは父親の2人だけだったと思うのです。(つづく)