老人の存在理由とは? ②
人生の目的が、悠々自適の老後を送ることにあるなどとは私にはとても思えない。面白おかしい人生なんてあるわけがないのだ。戦って、戦って、そして死んでいくのが人生なのだ。少なくとも私はそう思っている。心ゆくまで休むのは死んでからでいい。
閑話休題。老人の存在理由は何か? それは唯一つ、次世代を担う若者達の楯、つまりは捨石になることだろう。どのような場面であれ、若者達のために進んで老人が貧乏籤を引いてやる。現実的にそのような場面が多くあるとは思えないが、その覚悟だけはすべての老人が持つべきだ、と私は個人的に思っている。いったいぜんたい、みなさんどうしてそんなにまでして長生きがしたいのか? 貯金と年金頼りに、損得勘定だけが巧みになり、関心があるのは身の回りのことだけ、いかにも読書好きの有閑マダムさながらに、へらへらと人生を送っている老人ほど私にとって目障りなものはない。
老人たちは、若者たちのやることに文句をつけていい。いや、たっぷりと文句をつけるべきなのだ。そして、どちらの策が残るにせよ、最終的には責任を老人がとってやると覚悟していればいいのだ。
そのように覚悟していれば、憲法の問題であれ原発の問題であれ、どうせ自分に害が及ばないのだから老人は勝手なことを言う、などという理不尽かつ下劣な非難を浴びせられることもなくなるだろう。そうして初めて、若者と老人の間に適切な緊張関係と相互尊重の精神が生まれるのだ。精神で生きることの大切さを、我々老人が若者達に見せ付けてやろうではないか。