三島由紀夫事件について ② ——楯の会隊員たちと取り調べ室に
三島事件の時、僕は東京の中野に住んでいて、Tは前夜から泊まりに来ており、翌朝早くに市ヶ谷へ出かけて行きました。そして昼前に、僕は女房の悲鳴で叩き起こされたのです。テレビを見ると、三島氏自殺!の文字が躍っています。僕は飛び起きると着替えをし、そのまま飛び出しました。行く先は市ヶ谷の自衛隊駐屯地です。
ただ、何とも残念なことに、僕はその日の行動のことをほとんど覚えていないのです! 新宿からタクシーに乗ったこと、タクシーの運転手が不安そうな顔で僕を見つめること、それから街の普段にない雑踏ぶりだけは覚えています。しかし本当にそれだけで、僕はいつの間にか新宿警察署の取調室にいたのでした。そこには、30人ほどの楯の会隊員が集められていました。
僕は取り調べにも5時間ばかり付き合ったのですが、その内容については全く何も覚えていません。ただ取り調べが済んで、隊員たちが整列しています。その様子を鈴生りになって見守っていた警察官が、「うん、確かに訓練されてるな」と言ったのを覚えています。
その夜十一時過ぎに、我が家に数名の隊員を案内しました。制服姿のまま、誰も一言もしゃべりません。お茶も飲まずに、全員ずっと下を向いているのです。やがて従弟のTが夕刊を見せてくれと言いました。そう言えば、僕も読んでいませんでした。ウチは朝日新聞で、あの日の夕刊一面には、長官室に押し掛けた新聞社の社員が欄間越しに写した大きな写真が載っていました。内部は暗く、乱雑をきわめていましたが、その片隅に、断首された三島先生と森田氏の顔が並ぶように映っていたのです。
僕は息が止まるかと思いました。震えの止まらぬ僕の手から新聞を奪い取り、Tが読み始めました。するうちに彼の目から滂沱と涙が流れ出したのです。見たこともないような涙でした。目から床へと、涙が一本の太い線となって流れ落ち、留まることがないのです。それがやがて全員に及び、しわぶき一つ聞こえない部屋で、ただ涙が流れ落ちるのです。このように異様な光景を僕はそれまでに、あるいはそれからも見たことがありません。
〈山本光伸著『私の中の三島由紀夫』〉