三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。
僕はこの世に生まれて、さまざまに知識を学び、そういった人々に囲まれながら収入を得、家族ともども満足して一生を終える、そのような人生の在り方にはどうしても納得できないのです。他の生き方があるとは思いませんか? “成功の原理”で動かされている人間は、自分が病気になったり不都合が生じたときに、必ずと言っていいほど打ちのめされてしまいます。この悪循環から逃れるためにはどうしたらいいか、やはりそれぞれが真剣に考えてみるべきだと思います。
物質とは、平たく言えば肉体やお金のことでしょう。つまり、肉体やお金は心の影ということで、心の持ち方で物質はいかようにでも変化するということです。すでに述べた通り、僕は善しと思ったことは自分の人生に取り入れようとします。考えてみれば、この年になるまで成人病の検査を受けたことがないのもそのためでしょう。
病気になったらなったまでのことなのです。良くなったらそれは善し、悪くなってもそれは善しなのです。俺はそうはいかない、仕事が有るんだと息巻く人もあるでしょう。あるいはまだ幼いお子さんがいらっしゃる場合だってあります。その時にどうすれはいいか、何が頼みになるか、あるいはジタバタしないでいられるか、そういった多くのことが問われるのです。