三島由紀夫の嘆きについて考える ③
例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。
さらに言えば、太宰治がヴァレリーの言葉を借りて、「人に善きことをするときには謝りながら為せ」と言えば、僕はその通りだと思い、それを我が生き方に取り入れようとするのです。それにつけても、この言葉を理解している人がいかに少ないことか。僕はこの年になって自分の人生を振り返って見ると、このヴァレリーの言葉ほどに僕を勇気づけ、変化させたものはないように思うのです。
これとは別に、僕の中には、十代の末に読んだ聖書の一言、「汝、偽善者のごとき悲しき面持ちをすな」がしっかりと根を下ろしています。僕はこれを読んだ時、一晩眠られないほどに興奮したものでした。僕にとっては、こういったことこそが読書の掛け替えのない恩恵なのです。
ただし、僕が教えを請いたいと思う作家はごく少なく、他にも僕と同じように考えている人たちがいるはずです。そんな彼らと話がしてみたいと僕は痛切に思います。ひょっとしたら、僕のほうが間違っているかもしれない、そのような恐れは常にあるのです。その点を明らかにするためにも、ぜひともそのようなチャンスに恵まれたいものだと思っています。