三島由紀夫の嘆きについて考える ①
僕はいつでしたか、小説を読まない人間は信用できない、と言いましたが、その思いは今日もなおいささかも変わっておりません。ただしこれには例外があります。僕の友人で、町の寿司屋のご主人が居ます。僕と同年配で、よく二人で飲みに出かけたりします。そこで僕が思うのは、彼らは人生から読書以上の物を学んでいるということです。
彼らは実に多くのことを知っています。しかし学問上のことはわからない、彼らはそう考え、そういう点に関しては実に素直にこちらの意見を聞いてくるのです。僕は彼らといることが楽しく、北海道に来ての楽しみは、彼らと会うことだったと今更のように気づいているのです。
ではなぜ僕は怒っているのか? それは大学を卒業した、次代のエリートと目される連中に対してです。今日の大学生は、一年に一冊の本も読まないと聞きましたが、本当にそうなのでしょうか。背筋が寒くなる、とはこのことですね。彼らは大学時代の四年間を文字通りに遊んで暮らし、その結果、高校生と変わらぬ実力で世間に飛び出して来るのです。近くにいる若者に、学生時代にどんな勉強をしたのか、と訊いてみればわかります。
では、小説を読むことの効用とは何でしようか? 損得勘定ばかりせずに、心を遊ばせることが第一ですが、それと同じほどに大切なのが、惻隠の情を養うことにあります。惻隠の情とは、要するに、相手の身に立って物事を考えるということであり、それは取りも直さず、価値観には多様性があるということを知ることなのです。