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翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #2
さて当日、こちらは新潮社の女性編集員と、著作権事務所タトル・エージェンシーの代表、そして翻訳者の僕の三人はラドラム夫妻を出迎えた。ミセス・ラドラムは女優をしていらしたとかで美しい女性だった。そして肝心のラドラム氏は……それがなんとも冴えない人なのである。青のワイシャツ姿にズボン、どこから見てもそこいらの野暮親父と同じなのだ。こちらがテレビなどで見た颯爽たる中年男性はどこに行ってしまったのか?
しかし愛想はいい。夫人はまるで口癖のように、「ユー・アー・スーパー!」と亭主を持ち上げる。僕も高校時代に一年間、米国生活を経験しているが、こんな夫婦には会ったことがない。夕食は銀座の天麩羅屋へ行った。
そこでしゃべりまくるラドラムは、僕と同じになかなかのスモーカーで(僕は当時、毎日五箱、百本を吸っていたものだ)、汚い――どうもそのように見えるのだ――ワイシャツの前には黒い小さな穴が幾つも開いている。中には火花が見える穴ぼこもある!
僕は百本吸っても、着衣を焦がしたことは一度もない。ところが、ラドラムはそれこそ胸を焦がしながら話し込むのだ。奥さんもまったくワイシャツには目もくれず、ビール片手に「ユー・アー・スーパー!」と捲くし立てる。いゃあ、あれを見て、僕は彼に“惚れ込んで”しまったのだ。