太宰治を胸に秘めて #3
小泊では、ちょうど運動会が行われていた。そこで太宰はたけと三十年ぶりに再会する。その名場面をちょっとここで、長いけれども書いてみよう。
……たけは、突然、ぐいと片手をのばして八重桜の枝を折り取って、歩きながらその枝の花をむしって地べたに投げ捨て、それから立ちどまって、勢いよくわたしのほうに向き直り、にわかに、堰を切ったみたいに能弁になった。
久し振りだなあ。はじめは、わからなかった。金木の津島と、うちの子供は言ったが、まさかと思った。まさか、来てくれるとは思わなかった。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかった。修治だ、と言われて、あれ、と思ったら、それから、口がきけなくなった。運動会も何も見えなくなった。三十年ちかく、たけはお前に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな、とそればかり考えて暮らしていたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばる小泊まで訪ねて来てくれたかと思うと、有難いのだか、嬉しいのだか、悲しいのだか、そんな事はどうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ、お前の家に奉公に行った時には、お前は、ばたばた歩いてはころび、ばたばた歩いてはころび、まだよく歩けなくて、ごはんの時には茶碗を持ってあちこち歩き回って、庫(くら)の石段の下でごはんを食べるのが一ばん好きで、たけには昔噺(むがしこ)語らせて、たけの顔をとっくと見ながら一匙ずつ養わせて、手数もかかったが、愛(め)ごくてのう、それがこんなに大人になって、みな夢のようだ。金木へも、たまに行ったが、金木の町を歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでいないかと、お前と同じ年頃の男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ」と一語、一語、言う度毎に、手にしている桜の小枝の花を夢中で、むしり取っては捨て、むしり取っては捨てている。
太宰治『津軽』より
さて、皆さん、いかがだったでしょう。感動しませんでしたか? 僕は今回、何十回目かの読み直しをして、不覚にもまた泣いてしまいました。太宰をこんなにも近くで感じられる作品が他にあるでしょうか。
僕は四年前に、車で小泊へ行ってきました。太宰の思い出だけを胸に秘めた旅でしたが、そこいらの路地から治少年が飛び出してくるような印象があり、忘れ難い旅になったものです。皆さんも是非。