鎌倉学園と剣道 #2
僕はどういうわけか喜んだものの、そんなはずじゃなかったと文句を言う奴も多かった。たぶん高校側としては、当時鎌倉では有名だった“不良学校”のイメージを叩き壊そうとしたのだろう。またこの先生ほどその役職にピッタリの方は居なかったのではないだろうか。とにかく剣道がめちゃくちゃなのだ。めちゃくちゃと言っても、出鱈目というわけではなく、僕たちの常識では測り切れないほどめちゃくちゃだった。
生徒を壁際に立たせて、近くから薪を投げつけてよける練習をさせたり、剣道の全ての荒業――突き、脚がらみ、横面、竹刀を落とした場合の組討ち、等々――をOKにした。彼は極太の竹刀を上段や正眼に構え、我々生徒を十人ほども集めて稽古する。その稽古が数時間に及ぶと、彼の顔はもう汗と鼻汁でぐしゅぐしゅになり、目を明けていられないほどなのだ。稽古の間中、突き飛ばされた生徒たちの頭を踏んづけて立ち上がらせず、最後には失神者まで出たものだった。
ところがどういうわけか、僕はその剣道が好きだった。何をやっても赦されるというのだから、僕みたいな生徒には打ってつけだったのかもしれない。中学三年の時に、全校生徒の剣道大会があり、僕は最後、有段者との対戦に負けて2位になった。僕の剣道歴の中では“輝かしい歴史”として未だに残っている!
しかしながら、当時としても不思議だったのは覚えている。どうして他の先生方は、あのような乱暴者の先生がいて平気なのか、と。僕が音楽の授業を受けていた時に、その先生が殴り込みをかけてきた。文字通りの“殴り込み”である。
自分のクラスの生徒が廊下を走っている時に足を掛けられ、転ばされたと言うのである。「誰だ、出てこい!」と先生が怒鳴る。音楽の先生はもうなす術がない。生徒の一人がすごすごと立ち上がった。するとW先生はそいつを廊下にひっぱり出し、いきなり左右の拳で殴りだしたのだ。30発は食らっただろう。その生徒は窓を破って教室の外へ転がり落ちてしまったのだ。
僕はそれ以降、その先生が嫌いになってしまった。仕方がないだろうと思う。僕の定義では、一回の足掛けの“バツ”は、一発だけ殴ることだったからである。