鎌倉学園と剣道 #1
ちょっと話題を変えて、中学時代の話を。神奈川県の逗子に実家があり、僕は53歳までそこで暮らしていたのだ。中学・高校と鎌倉学園に通った。高校三年の夏にアメリカへ一年間留学したので、丸6年間鎌倉学園にいたわけではないが、僕の中では、学園を卒業したと思っている。後輩には桑田佳祐がいて、誰もが、彼と同じ学校だぜと自慢するものらしい。
鎌倉学園とは、建長寺の隣にあって、鎌倉と北鎌倉の丁度中間にあり、毎朝、今日はどっちの駅で降りようかが話題になる。どちらにも我が校とは縁のない女子中学・高校が控えているのだ。何しろ中・高合わせて2000人ほどのマンモス男子校なのである。
当時は、誰もが一枚か二枚、鎌倉か北鎌倉の女子校生の盗み撮りした写真を持っていたようである。二つの駅からそれぞれ20分ほど歩くと学校に着く。左はお寺、右は山という格好の学びの場だ。どこにも行き様がないのである。僕のクラスの生徒が北条政子の墓をホッくり返して退学になったことがある。
しかも僕が中学一年の時に、新しい体育の先生がやって来た。W大学の剣道部で大暴れしたという、20歳を過ぎたばかりの先生である。彼が最初に我々に言ったのが、「これから中・高共に剣道を正課とする」だった。
生まれて初めて耳にする「剣道正課」という言葉に、僕は何となく嬉しくなった。僕は小学校時代に野球部(?)を立ち上げ、その体験から運動の楽しさに期待していたのである。