『老人と海』について
今年に入って、E・ヘミングウェイの不朽の傑作、『老人と海』(柏艪舎より2013年10月刊・中山善之訳)を三度読む機会に恵まれた。本書が、ノーベル文学賞作家によるピュリツァー賞受賞作品ということはいうまでもないだろう。
初めの2度は訳稿のチェックだった。そのため、というわけではないが、内容に感情移入して読むことが難しかった。原文の素晴らしさ、訳文の、海がうねるような独特のリズムに乗せられて充分に楽しんだのは言うまでもないが。そして3回目、最終稿を読んだときはほとんど一読者になりきっていた。
私は感動した。不朽の名作と称される理由がよくわかった。人は人生のある時期において、やはりこのような文学に触れるべきだろうと改めて思った。
本書について、中山氏は訳者あとがきの中で実に的確にこう述べている。それをここにご紹介したい。
ヘミンググウェイは、ある友人への手紙の中でこういっている。
「この作品には、象徴性はまったくない。海は海である。老人は老人である。少年は少年であり、魚は魚である。サメはサメ以外の何者でもない」
ヘミングウェイは素直に読んでくれることを読者に期待していたのだろう。そして何かを感じ取ってくれることを。
あなたはなにを感じ取るだろう? 生きる力か。戦う気力か。
自然への畏敬か。人生のはかなさか。この世への愛着か。
『老人と海』訳者あとがきより
(2013年執筆のブログより)