親友のこと ②
僕は生まれて初めて会社を経営し、それまでとは違う人生が始まりました。朝から晩までみっちり仕事があります。まだ家内と息子は逗子でしたので、自宅と会社を車で行き来する時間がもったいなく、ホテルに百日間逗留したのもその頃です。
仕事は4つありました。翻訳の仕事、会社の経営、翻訳学校の経営、そして新聞記事の執筆です。1つでも大変なのに、それが4つというのは予想外でした。ある時は夜の授業を終えてさて食事をと思い、歩きだした拍子にがっくりと膝を折ってしまいました。もう歩けないと感じたのです。それがしばらく続いたある日、僕は考えを変えました。
自分の100%の能力・体力を400%に上げればいいのだ、と。100%を分割するのではなく、一つずつに100%をぶつけて頑張ればいいのだ、と。そんなことが可能かどうかは分かりませんでしたが、僕はそう思ってほっとしたことを覚えています。
ともあれ、僕の新事業はスタートしました。良いか悪いかではなく、新しい生き方がスタートしたのです。僕は馬車馬のように働きました。僕だけでなく、全社員がです。しかしながら、僕の思惑が狂いだしたのはそこからでした。売上げが上がってこないのです。
ところが翻訳家としての僕の活動はまだ調子がよく、僕は自分の売り上げをそのまま会社に回していました。その頃は年収が3000万ほどあったので当然でしょう。僕は喜んで不足を補っていたのですが、しだいにそれも不足気味となり、友人たちからお金を借りて不足を補いだしました。
妙な話ですが、僕はそれを少しも変だとは思わなかったのです。全くどうかしていますね。笑われるのを覚悟して言いますが、僕はその頃、皆のために仕事を頑張っている気だったのです! ああ、何たる体たらく! 僕は今、何とも説明出来ない絶望感に捉われています。どうしてそんな単純なことにもっと早くに気づかなかったのか。北海道での新生活に目が眩んでしまったのでしょうか。
僕は心から反省しています。今更反省しても遅すぎるのかもしれませんが、そのことだけはご理解いただけたらと思います。僕はあと10年掛けて借金の完済していくつもりです。この50年ばかりのあいだに、僕が書き溜めた小説が40編ほどあります。
これは、文藝翻訳家が小説を書けないのはおかしいではないか、という思いで書き始めたものです。途中で二度ばかり、出版社に送ったところ、傑作だとの評価を得たので僕は納得し、後は自分の楽しみのために書きとばして来ました。
今回、僕の小説群を世に問おうと丁寧に読み直してみたところ、何と言ったら良いか、かなり面白いのです! 現在は新作を書いているところです。皆さま、いかにも遅い試みですが、僕は必死で頑張っております。どうか信じてお待ちいただければと思います。申し訳ありません。