読書で得られるものとは? ④
例えば、太宰治です。僕は彼が大好きです。十代の中頃に読み始め、二十代には太宰を気取るようになり、その後に少し目が覚めたものの、この年になっても太宰は特別な意味を持つ作家なのです。彼は38歳で自殺していますが、およそ20年という短い歳月のあいだに、驚くほど多くの作品を残しています。彼の最晩年の生き方から、「無頼派」などと呼ばれ、その呼ばれ方に若い読者は熱中したのでしょう。
太宰には後に触れたいと思いますので、あまり細々としたことは省きますが、彼の中期の作品群には人間愛が満ち溢れています。そのことは、彼が友人・知人宛に出した手紙類を読めば明らかでしょう。しかし、彼の作家としての20年間を見れば、人間の良い面と悪い面がしっかりと捉えられているのです。
太宰の作品は一冊ずつで完結していますが、作家としての彼を見るのはやはり長い生涯を通じての姿でしょう。読書には、そうした読む側の長い目が必要です。作品としての評価は一冊ずつでよいのですが、作家像となると当然違ってきます。
これは、目先の利益の取りっこにしか縁のない現代人にはもっとも不得手なことでしょう。僕はずいぶんと読み方が違ってきました。今までは、その本だけが勝負だったのです。それが今では、別の見方もあるかもしれないと必ず思うようになったのです。つまり、評価を簡単には下さない、ということです。
しかし今はどうでしょう。新しい、若い作家たちが、あたかも人生のすべてを知り尽くしたような顔で登場してきます。著者と作り手の長い共同作業の始まりです。つまりこれは、賞を与えた側ともらった側との共謀行為であるとも呼べるようことなのです。こう言うと、お前は年寄りだからそんなことを言うんだろう、という声が聞こえてきそうですね。
それは確かにその通りです。僕もみなさんと同じような形で本を読んできたのです。ただ、その点に気づいたのはラッキーだったなと思い、それをちらつと皆さまにお知らせしただけです。まあ、お好きになさってください。
読書については、今回はこれくらいにしておきましよう。皆さんのほうで何か聞いてみたいことがあれば、遠慮なくおっしゃってください。わかることはお答えし、わからないことはわからないとお伝えします。
柏艪舎より刊行した『太宰治選集 全三巻』