読書で得られるものとは? ③
考えてみれば、一冊も本を読まない若者がやがて結婚して子供を育てるようになる。現代日本に充満している“中庸観”は、この読書離れから来ているのかもしれません。日本人の多くが目先の利益しか追わなくなったとき、日本はいったいどうなるのか?
一部の人間が先鋭化して革命を起こし、ふたたび日本は暗黒時代に逆戻りするのか。 僕はそれもまた仕方がないと思うのですが、その時代に僕が生きていることはなく、何だか絵空ごとになって面白くありません。僕にできることは唯一つ、そうはならないように努力することでしょう。
やはり、一種類の書籍しか読まないというのは間違っていると思います。簡単に言うなら、アメリカの民主主義に関連した本を読むか、ロシアの共産主義に傾倒した本を読むか。あるいは日本史にだけ圧倒的に詳しくて、諸外国の歴史には無関心だとか。お茶のことには詳しいのに、紅茶についてはほとんど何も知らないとか。
やはり偏頗な読書にはそれなりの形が付いて回るのでしょう。それを避けるためにも、これからの人間はまず、世界史の勉強から始めるべきだと思います。世界各地の人間がどのように考え、どのように生きてきたかをまず考えなければなりません。それがない人間の読書は“百害あって一理もなし”ということになる危険性があるのです。
本を読むことはやはり必要でしょう。目先の利益の取りっこなどは子供のやることです。大人になった我々は、まず我々を取り巻く世界のあり様を検討したのち、それぞれの関心事がそれにどのように対応するかを考えなければなりません。そうして初めて、我々の読書が役に立つこともあるのではないでしょうか。その役に立つことが果たして、人間にとっての幸せを意味しているのかどうかはわかりません。わからないなりにも、人間にとって不利なことに無理やり目を瞑ってはならないのです。