読書で得られるものとは? ②
しかしながら、くだらないと思う一方で、“読書信仰”はその後も長く続いたのです。一生に一冊の本も読まず、それでいて天寿を全うした人がいれば、万巻の書物を読みながら不遇の一生を送る人もいます。
しかも我々には、彼がどんな本を読んでいるかはほとんど知らされず、ただその読書に費やされる時間に驚いているだけなのです。要するに、自分の足らざるを埋めるためにという謙虚な気持ちを忘れ、読書を通じて得た知識を何かに役立てたいという“助平な”根性だけでは、読書の大半は意味を失くしてしまうことでしょう。
読書は最良の“時間潰し”である。そう思い定めた人にこそ、読書はたまさかの“恩恵”を施してくれるのかもしれません。しかしその“恩恵”があろうとなかろうと、読書を通じて自分の魂に一時の自由時間を与えられる人はやはり、幸せだと思うべきでしょう。
今の僕は、丸山健二の作品を毎日読んでいます。彼の作品が数百冊あるとして、一日一冊(?)で一年で全部読み終える。それを何回か繰り返すのです。我々は彼の本を出版していたので、すでにもう十回は読んでいるはずです。それでもなお、読書のたびに、ああ、こういうセリフがあったんだ、とか新たな視点が目に飛び込んできます。その度に僕は思います。僕は今、本当に読書を楽しんでいる、と。
さて、今日の大学生は本を読んでいないそうです。統計によれば、四年間で一冊も読まないとか! これはキンドルなどといった電子機器を使っても読まないのかはっきりしませんが、電車やレストランなどでも、座ったとたんに携帯を睨んでいる人が多いようです。時代といえばそれまでですが、僕はやはり、小説によって魂を中空に飛ばすという時間がどうしても必要に思えます。しかも、それは若い世代にとっていっそう必要なことに思えるのです。(③へつづく)
柏艪舎より刊行した『完本 丸山健二全集01 争いの樹の下で』