僕の愛犬 ②
2年前まで我が家で飼っていた柴犬は、ポテトという名前でした。我が家では初めて室内犬として飼ったものです。僕は毎日のように、ポテトをつれて山を下り、畑の中を10キロほど歩いたものです。 年取ってくると、ポテトは長歩きができなくなり、だんだんへばってきます。そこで僕が抱えて畑の中を歩くのです。たまに出会った人がびっくりして僕たちを見るのですが、 僕はそれが楽しくてなりませんでした。
そして2年前の12月、僕が78歳のときに、ポテトは最後を迎えました。3週間ほど、僕は居間のソファーでポテトを傍らに眠っていました。そしてある夜、ポテトは深いため息のような呼吸を三度ほど繰り返し、お腹が急にへっこんだと思うとそれが最後でした。
家内が起きてきて、ポテトに覆い被さるようして泣き出しました。僕もそれまで我慢していたのですが、涙が溢れてきました。人間が死ぬのと似ているようなそうでないような。僕は泣きながらそんなことを考えていたのです。
現在、僕が80で、家内が78。果たして次の犬を飼うべきかどうかで悩んでいます。たぶん大丈夫だろうと思うのですが、家内はそうは思わないようです。いえ、それよりも、ポテトのことが忘れられないようなのです。
息子二人が巣立った今、家内と二人だけの生活も捨てたものではありません。新婚時代と同じなのですから。ただ、同じだとは言いながら、やはり違うと思わざるを得ないのが日常です。老人が飼っていたペットを、その後に引き受けてくれるところがあればいいのにと思います。やはり、それは無責任な老人の、独りよがりの戯言なのでしょうか。
柏艪舎より刊行した公募作品集『犬の、ちょっといい話』