人生について– category –
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人生について
畑 正憲氏の思い出 ①
畑 正憲氏の思い出 ① 先日、畑 正憲氏が亡くなられた。私にとっては、この世で最高の人物であると思っていただけに、その喪失感は実に深い。対処できないほどである。彼の功績については誰もが口にすることであろうし、周知の事実なので私が改めて言うべきことではないだろう。 -
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母の思い出 ②
母の思い出 ② 今夏(2013年)も、95歳になる母が神奈川県の逗子から“避暑”にやって来ました。10年ほど前に、熱中症で死にかけて以来、我が家の恒例行事になっているのです。 -
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伊藤整文学賞の断絶について
伊藤整文学賞の断絶について 私は言いようのない寂寥感を覚えざるを得ない。直木賞や芥川賞に並んで、いやそれらよりも実質的な重みのある文学賞だと思っていただけに、なお更だ。 -
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人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ②
人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ② 理想論を縦軸とするならば、必ず現実論を横軸に据えなければならない。そうして初めて、座標点が明確になり、事態が立体化すると共に自分の立ち位置がわかるのだ。現実を見ようとしない理想論、あるいは感情論は、あの綺麗な星を取っておくれと愚図る幼児の言うことと同断なのである。 -
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人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ①
人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ① 先日、朝日新聞朝刊の読者欄に、次のような投書が載っていた。小学二年生の息子が、「誰かを殺せって言われても僕にはできないから、それなら自分が死ぬ」と言っている。そんな国民の声を聞く政治家に国を任せたい、云々。 この手の文章を書くほうの、あるいは口にするほうの精神的幼稚さは仕方がないとしても、これを麗々しく読書欄に登場させる朝日新聞側の迎合主義がたまらなくいやらしい。 -
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武道から考える国防
武道から考える国防 ところでもう一つ、武道に関して言いたいことがあります。武道には“先(せん)の先”という言葉があるのをご存知でしょううか。これは基本的に剣道用語ですが、間合いと同じで、あらゆる武道の根幹を成す概念だと言っていいでしょう。 -
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武道家との出会い ②
武道家との出会い ② それからもう一人、札幌で古武道を教えているM氏がいます。彼曰く、古武道の最強は宝蔵院流の槍術なのだそうです。その槍術に相対する場合、勝ちを得る唯一の方法は「紅(くれない)一文字」と呼ばれる“秘術”だという。つまり、少しわかりにくいかもしれませんが、自分の胸に槍の穂先で一文字の傷を負うほどに見切らなければ、勝てないということなのです。 -
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武道家との出会い ①
武道家との出会い ① 僕には武道家の知人が沢山います。当然ながら、尊敬に値する人もいれば、そうでもない人も。たとえば、かつて鎌倉で気功を教えていたI君です。一度酒の席で、彼にちょっと遊んでみましょうと誘われたことがあります。何をしたかというと、我々は5センチぐらい離れて正座して相対し、I君は好きに殴ってくれと僕に言って膝の上で指を組み、顔を俯けて目をつぶってしまったのです。 -
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着物と日本人 ②
着物と日本人 ② それはともかく、日本人は体格が良くなったせいか、洋服がすっかり板につきましたね。僕はそう思っています。やはり着物が隠してくれていた体系のマイナス点が、かなり改善されたように思います。足の短さ、胸の薄さ、腰骨の線の細さ、等々。先日テレビで見た外国人のダンサーたちは、足が長過ぎて逆におかしく見えるのです。僕がそれを言ったら、外国の友人は不機嫌そうな顔をしていましたがね。 -
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着物と日本人 ①
着物と日本人 ① 今回は話題を変えて、「着物」にしましょう。皆さんは毎日、何を着て生活をしていますか。僕は剣道をするとき以外は、いわゆる西洋風の衣料を普段着としています。しかし女性の皆さんは着物を持っていらっしゃることでしょう。僕の家内も数着の着物を持っています。