人生について– category –
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人生について
どこで暮らすか 住む場所の決め方は? ①
どこで暮らすか 住む場所の決め方は? ① 僕は外での生活が好きなせいか、天気予報にはかなりの親近感を覚えます。例えば神奈川県の逗子にいた頃には、北海道にいつも行きたいと思っていて、しょっちゅう津軽海峡や北海道各地の天気案内に電話していたものです。そうして少し訛りのある案内の言葉に目を瞑って聞き入っていると、あたかも現場にいるような雰囲気を味わったものでした。 -
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織本順吉のドキュメンタリー『老いてなお 花となる』②
織本順吉のドキュメンタリー『老いてなお 花となる』② しかし僕には、この結美の問いかけは父親へのラブコールにしか聞こえません。自身が放送作家でもある娘が、幼い頃ならいざ知らず、俳優業に没頭する父親に尊敬の念こそ抱け、恨みに思うはずがないではありませんか。つまりこれは、裏返しにした父親織本順吉賛歌に他なりません。織本があの世で喜んでいることは間違いないでしょう。 -
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織本順吉のドキュメンタリー『老いてなお 花となる』①
織本順吉のドキュメンタリー『老いてなお 花となる』① さて過日、NHK-BSで俳優織本順吉のドキュメンタリー、『老いてなお 花となる』を拝見しました。2日間、4時間余りの大作で、放送作家である娘の結美が、92歳で亡くなった父親織本の最晩年をフィルムに収めたものです。織本は名脇役として知られる俳優で、彼が画面に登場すると、一気にリアリティが増すようだったと記憶されている方も多いように思います。 -
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老人の存在理由とは? ②
老人の存在理由とは? ② 人生の目的が、悠々自適の老後を送ることにあるなどとは私にはとても思えない。面白おかしい人生なんてあるわけがないのだ。戦って、戦って、そして死んでいくのが人生なのだ。少なくとも私はそう思っている。心ゆくまで休むのは死んでからでいい。 -
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老人の存在理由とは? ①
老人の存在理由とは? 私は今年で82歳、どこから見ても文句の付けようのない老人である。物忘れの度合いと頻度は由々しきレベルに達しているし、体力の衰えは自分でもびっくりするほどだ。長年剣道をやってきて、体力には自信があったのだが、先日、蹲踞の姿勢がうまく取れないことがわかって愕然とした。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦ 先日もある集まりで、90代の婦人が遺産分けの話を持ち出しました。息子が3人いて、いろいろ事情があって、配分に差をつけたいらしいのです。僕は聞いているうちにひどく不愉快になりました。まるで海賊か山賊たちの戦利品の山分けのようではありませんか。僕かそんなにお困りなら、ユニセフにでも寄付されたらいかがでしよう、と冗談交じりに言ったところ、その老婦人は僕をひと睨みし、悠然と話を進めたのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥ さらに言えば、こんなこともありました。東京の女性(女房の友人です)から突然、札幌の僕の所へ電話が入り、100万を貸して欲しいというのです。女房や息子たちはまだ逗子にいました。そこで僕は出版社から100 万を借り、彼女に振り込みました。問題は本来それだけで終わるのですが、三年ほどして彼女の話が話題になり、僕はうっかりと、そう言えば彼女にお金を貸したっけ、と話してしまったのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤ お金も同じです。そこに価値を置かないのだから、貸したお金は上げた者に他ならない。僕はこれまでに3000万近くのお金を貸していますが、こちらがどんなに困っても取り戻したいと思ったことは一度もありません。断っておきますが、だから僕は偉いとかそういう問題ではさらさらないのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫の嘆きについて考える ④ 三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ③
三島由紀夫の嘆きについて考える ③ 例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。