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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦ 先日もある集まりで、90代の婦人が遺産分けの話を持ち出しました。息子が3人いて、いろいろ事情があって、配分に差をつけたいらしいのです。僕は聞いているうちにひどく不愉快になりました。まるで海賊か山賊たちの戦利品の山分けのようではありませんか。僕かそんなにお困りなら、ユニセフにでも寄付されたらいかがでしよう、と冗談交じりに言ったところ、その老婦人は僕をひと睨みし、悠然と話を進めたのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥ さらに言えば、こんなこともありました。東京の女性(女房の友人です)から突然、札幌の僕の所へ電話が入り、100万を貸して欲しいというのです。女房や息子たちはまだ逗子にいました。そこで僕は出版社から100 万を借り、彼女に振り込みました。問題は本来それだけで終わるのですが、三年ほどして彼女の話が話題になり、僕はうっかりと、そう言えば彼女にお金を貸したっけ、と話してしまったのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤ お金も同じです。そこに価値を置かないのだから、貸したお金は上げた者に他ならない。僕はこれまでに3000万近くのお金を貸していますが、こちらがどんなに困っても取り戻したいと思ったことは一度もありません。断っておきますが、だから僕は偉いとかそういう問題ではさらさらないのです。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫の嘆きについて考える ④ 三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ③
三島由紀夫の嘆きについて考える ③ 例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。 -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ②
三島由紀夫の嘆きについて考える ② 僕はいつも、他人のゴミ出しの様子を窺がっているような人間が嫌いだと言っていますが、この手の類いの、小さな正義感を振り回して悦に入っている人間はまず、小説を読んでいませんね。あなた方の周りにもいっぱいいるでしょう。立派なことを言いながら、妙に一つのことにこだわる精神バランスのおかしな連中が。もしこういう人達が世の中の大半を占めているとしたら? -
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三島由紀夫の嘆きについて考える ①
三島由紀夫の嘆きについて考える ① 僕はいつでしたか、小説を読まない人間は信用できない、と言いましたが、その思いは今日もなおいささかも変わっておりません。ただしこれには例外があります。僕の友人で、町の寿司屋のご主人が居ます。僕と同年配で、よく二人で飲みに出かけたりします。そこで僕が思うのは、彼らは人生から読書以上の物を学んでいるということです。
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