2022年に思う
さて、2022年が終ろうとしています。僕が80 歳になって1年です。僕にとっては、この1年ほど長く、苦難に満ちたことはありませんでした。作家丸山健二氏との約束が守れずに、全集刊行が頓挫したのが3年前、その直後に脳梗塞で3週間の入院。そして退院してからです、僕の苦しい日々が始まったのは。
病気のせいで記憶が曖昧になったことから、会社の仕事から外れました。社員たちはこれまでの不遇にもめげず、会社を立て直そうと懸命に頑張っているのですが、僕はその横で何をするでもなく、ぼんやりと本を読んだりしているのです。
社員たちが必死であればあるほど、僕の孤独感は深まります。それはそうでしょう、何しろ彼らが今悪戦苦闘しているのはすべて、僕が元気な頃にやったことの結果なのですから。
3年間を丸山全集に集中したため、いざそれが無くなって見ると、会社のやるべき仕事も雲散霧消していたのです! 出版物は全て忘れ去られ、借金だけが残りました。そこで社員たちが話し合い、唯一残った自費出版で糊口を凌ぎながら、借金を返していこうという考えになったのです。そんな彼らに対し、僕は文句を言うどころか、感謝の気持ちしかありませんでした。
脳梗塞から復帰し、傍目にはどう見えるかわかりませんが、僕は幾つかの〝不調〟を抱えていました。足裏の妙な具合から目の不調、記憶の減少などです。記憶に関しては、頭蓋の左目奥の血管を一本潰してしまったために仕方ないのですが、その影響は計り知れないものがあります。何しろ、退院直後は自分が今住んでいる地名が出て来ないのですから。
足の裏と目の不具合は未だに続いています。しかしそれらは、他人にはわからないことなので、僕が文句を言わなければ誰にもわかりません。こうして不調ながらも退院後二年が過ぎました。つまり今年の春先のことです。それまで、どうやってこの苦境を抜け出したらいいかと一人考えていた僕は、この30年間、仕事の合い間に書き続けていたオリジナル作品のことをふと思い出したのです。
作品は30 篇ほどあるものの、僕が勝手に書き飛ばしていたもので読み返してもおりません。書き始めた直後に2冊を出版社に送ったところ、両方とも2位になり、1冊などは評者から傑作だとの評価を得、僕はすっかり喜んでしまったのです。
僕の本職は文藝翻訳家です。翻訳家が自分の小説を書けないのはおかしいと信じていた僕は、さりとて小説家になるつもりもなく、あくまでも趣味として書き散らしていたのです。ところが、なんと、面白いのです。じっくりと、不足部分を書き足しながら読み返して、僕はこれらの作品で勝負しようと決心したのです。これが今年の9月からです。
そしてもう一つ、僕は文芸翻訳を再開出来ないかと考えました。そして最大手の出版社に連絡したところ、幸いにも僕を覚えている方が居て、早速本が送られて来たのです。その本の翻訳が先週終り、この休みに再読して編集者宛にお送りしようと思っています。発売は来年の五月くらいになるでしょう。
僕にとっては、またとないほどの幸運でした。ここ十年ほどの心の憂さが吹っ飛んだような気がしています。ほとんどゼロからの出発です。収益は柏艪舎に回し、なるべく早く従来の出版社として活躍できるようになりたいと思っています。
2023年が、柏艪舎にとっての“新年”となるはずです。札幌に来て30年。これまでの自分の遣り方の愚かさを痛切に感じています。我々は頑張ります。皆々様のご愛情をもう一度いただけるなら、これに勝る喜びはございません。柏艪舎はここ数年の幸運に感謝し、自費出版部門ももちろん維持しながら、出版社の王道を歩んでいくつもりです。有り難う御座いました。