父の思い出
次は、順番から言っても“父”ですね。僕は父について、どう言ったらいいのか、全幅の信頼を寄せていながら、腹の底でもうひとつ理解していなかったのでは、という忸怩たる思いに責められています。
この思いは僕にずっと付きまとっているものですが、最近になって思うのは、いわゆる理科系と文科系の違いではないかということです。ただそれだけの違いではないのか、と。僕の兄弟は二人とも理科系です。僕と母だけが文科系なのです。今にして思うと、どうやらそれが正しいようなのです。
僕は中学から大学までずっと私立ですが、兄と弟はずっと国立です。友達も何となく違うようです。しかしそれで僕が不利益を受けたという意味では全くありません。兄や両親からそういうことで文句を言われたことは一度だってないのですから。要するに、その点に拘っていたのは僕のほうで、兄弟たちはまるで気にもしていなかったようなのです。
しかし今だから言いますが。理数科系がさっぱりわからない僕にとっては、兄たちはまさに別の星の人間のようだったのです!
父は68歳で急逝しました。まあその年で急逝云々はおかしいのかもしれませんが、それまで一度も病気に縁のなかった父親でしたから、死んだときには大騒ぎになったものです。
そして翌日の葬儀には、日本全国から父の友人たちが来て下さいました。戦友たちの間でも、父の寿命は短いほうだったのです。
そして葬儀のさ中に、友人の一人がこう言いました。「山本よ。俺たちはお前に三人も立派な息子がいるとは知らなかったぞ!」と。つまり、当時の父親たちはどんなにふざけようとも、息子たちのことで話を盛り上げたりはしなかったのでしょう。今とは明らかに違うのです。それを知った時、僕はいきなり大粒の涙に襲われ、立っていられないほどになりました。
生前の父は、戦争のことをほとんど話してくれませんでした。そのことは僕たちも意識していて、もう少し年を取ったらきちんと聞こうと話し合っていたものです。それは叶わなくなりました。本当に、父ともう少し話し合いたかった。それが僕には何とも残念でなりません。