両親からの教え
ついでだから、嫌なことは初めに書いてしまいましょう。僕が絶対にやりたくないこと、です。僕はたいていのことには“耐性”を持っていて、何であれ出来ないことはないのではないかと思っています。例えば“人殺し”てすが、これも許されることがあるのではないでしょうか。自殺であれ他殺であれ、よんどころのない事情があっても不思議はないように思います。
ただし僕はまだ殺したいと思う相手に出会ったことがないので、いざとなったら尻込みするかもしれません。それはまあ、そうなった時のお楽しみということに。では、僕が絶対にやりたくないこととは何か? うーん、難しいですね。殺人が許されるとしたら、他のあらゆることが諭されるような気がするのです。
自分が殺されても、あるいは殺してもやりたくないことは何か? 僕の返事を聞いて笑ってはいけませんよ。真面目に言っているのですから。それは、僕が貸したお金は返してもらいたくないということです。口にこそ出していませんが、僕はあげたと思っているのですから。僕から借金をしていると思っている皆さん、それはもう忘れてください。
今になってそんなことを言い出して、という声が聞こえてきます。しかしそれは違うのです。僕はここ何十年も、何十人という方々にお金を貸してきました。かなりしんどかったのは、十年ほど前にある書店がつぶれた時の話です。相手が困窮していることはすぐにわかりましたが、こちらにもお金は一銭もないのです。それでも僕はなんとか工面して、八十万ほどをお貸ししました。
それで話は終わりです。彼からはその後何の連絡もなく、僕はもうとっくに忘れていました。お金のことは、忘れてしまえばもう何も残りません。僕が両親から教わったのはそういうことではなかったのでしょうか。僕が両親に一番感謝しているのは、お金には淡白でいなければならないと教わったことです。
いや、これはちょっと御幣がありますね。我々家族は、お金のことをあれこれ話し合ったことがないのです。あるいは、僕が覚えていないだけかもしれませんが。いずれにしても、僕はそのことを両親から教えられたと思っているのです。ただし、これは僕だけの真実であり、借りたお金をお返しするのは当然です。 あなた方の友情には心から感謝しています。僕のだらしなさから返済が遅れてしまい、本当に申し訳ありません。必ずお返ししようと思っています。