剣道は茶の間ダンス?――現代に生きる古武術 ②
また彼は “相抜け” という用語も教えてくれました。示現流は相打ちを心眼としていますが、相打ちではお互いに死ぬしか手はなくなります。というより、死ぬことを覚悟して切り結べということなのでしょう。しかしこの相打ちを覚悟した先に、相抜けの境地があることを知るか知らないか、これは大きな差を生み出すことでしょう。
ある時、僕はこの先生から、剣道の動きの中で最も早いといわれる一刀流の切り落としの術を教えられました。僕はそれまで、剣の動きには個人差があり、その遅い早いは一概には言えないだろうと思っていたのです。
僕に木刀を渡し、好きな時に胴を打ってきなさいと言います。二人とも普段着のままです。彼はやはり木刀を、釣竿を持つ要領で肩に担いでいます。僕は正眼に構えたものの、ちょっと迷いました。右胴を打つには両手を返さなくてはならない。しかし左胴ならば、その返しも最小限で済むはずだ、と。
そう思って、僕は相手の左胴を打って出たのです。気合は掛けませんでした。(逗子にいた当時、鎌倉樹林気功の会の師と知り合い、その年末の飲み会で酷い目に遭っているからです。それもまたいずれお話するでしょう)。すると次の瞬間、僕が握った右手と左手の一センチほどの間で、パシーンと木刀のはじける音がしたのです。
もう少しゆっくりと説明しましょうか。つまり僕がわずかに木刀の先を相手からずらし、両手をひねった瞬間に、先生の木刀がまっすぐに振り下ろされていたのです。そう書いてくると時間があるようですが、実際にはまさに一瞬の間です。僕はまたもや呆然としてしまいました。しかも木刀を握る一センチほどの間を、見事に打ち抜いていたのです。そして先生はにっこり笑って、「いや、そこを叩いたのは偶然だよ!」とおっしゃったのです。
現代剣道は踵を上げて構えますが、古武術では踵を下げ、つま先を上げて構えます。全くの逆ですね。これは武道場の剣道とは違い、どこで戦おうとも足の指先を傷めないためなのだそうです。そして身体の柔軟性は、足(裏)ではなく、スキーと同様、膝で取るのだとか。古武道の世界では、現代剣道を “茶の間のダンス” とか呼んで笑っているようですが、僕にもその理由がわかったような気がしたものです。
柏艪舎より刊行したM先生の著作『古武道 現代用語事典』