翻訳家になったころ
そんな僕にとって、翻訳業とは魅力的な職業だったのです。翻訳業といっても、僕がやるのは文芸翻訳だけでした。
技術翻訳にはまったく関心がなかったのです。そしてそのように決心した僕にとっては、ラッキーとしかいいようのない時代でした。
ご存じでしょうか? 50年前の日本には翻訳家希望者が溢れていたのです。当時誕生したある翻訳学校の受験時には、十重二十重に受験生が駆け付けたということです。
これもやはり、敗戦後に特徴的な社会現象だったのでしょう。何しろ、戦勝国で翻訳業が持て囃されたという話は聞いたことがありませんから。
僕はユニ・エージェンシーという翻訳事務所に登録し、翻訳家になりました。
しかし剣道家になるつもりでしたから、4つの道場に参加して、剣道の稽古に明け暮れていたものです。一年365日、毎日休まずに稽古するのだから大したものでしょう。
翻訳は好きでしたが、それはあくまでも一時凌ぎのものだったのです。
ところが、不思議なことに、そんな僕のところに大量の仕事が持ち込まれたのです。これは驚きでした。
普通の小説であれば一年に2冊ぐらいをこなすのが適当でしょうが、僕は10冊ぐらいを受けていたのです。
『ゴッドファーザー』から始まって『ジェイソン・ボーン・シリーズ』、『トップガン』と、ベストセラーも何冊かやってきました。総翻訳数は300冊を超えていますから、かなりのものですね。