父の死に際 ①
鈴木邦男氏が亡くなり、彼のことを考えているうちに、僕は父が死んだ日のことを思い出しました。父は67歳で亡くなりました。ちょうど哲平が生まれ、僕たちも自宅を逗子に移して2年ほどが経った頃で、僕の自律神経失調症が始まったのもその頃でした。
父は東京の弟が勤める病院に胆石で入院したのです。父はもちろん、我々も大したことは有るまいと考えていました。父は痛そうな素振りは一切見せませんでした。その前日、逗子駅前で会った時にも、明日から入院だと“元気に”話していたものでした。そして入院して翌日に手術、予想どおり成功で、5日後には退院と決まりました。弟に様子を聞くと、元気でもういつでも退院だ、さっきからゴルフの話をしているよ、とのことでした。
その翌々日の夜8時頃、また電話したところ、兄貴も東京に行っていて、母も一緒に賑やかに話し合ったと言うことでした。僕は一度も見舞に行きませんでした。弟は、来ても意味はないよ、兄貴はまた親父さんとゴルフでも付き合ってくれよ、と言うことでした。そして、その日の夜11時半頃のことです。我が家の電話が鳴りました。一日中、電話が鳴っているような家でしたから、別段、驚きもしません。また弟でした。
先ほどの柔和な様子とは気配が一変しています。弟は一言、親父が危篤だ、と言って電話は切れたのです。僕はしばらく受話器を眺めながら、茫然としていました。