母の思い出 ②
今夏(2013年)も、95歳になる母が神奈川県の逗子から“避暑”にやって来ました。10年ほど前に、熱中症で死にかけて以来、我が家の恒例行事になっているのです。
一昨年(2011年)の夏には、北大病院で白内障の手術までしました。おかげでよく見えるようになったと喜んでいた母ですが、さて一年ぶりに見る母はさすがに衰えが目立つようになりました。食欲はあるものの、耳はもう殆ど聞こえないし、足元も覚束ない。何度同じことを言っても伝わらず、するうちにお互いが業を煮やして寡黙になってしまう。それではならじと思うのだが、こちらも忙しさにかまけてついいらいらしてしまうのです。
ときどき、母と二人で手をつないで散歩をします。71歳の息子と95歳の母親。どっちがどっちを介護しているのやら。二人の徘徊老人に見られやしないかと、妙なことが気になったりします。
その母が、夜寝ているあいだによくうなされるのです。苦しそうに、大声でうめきます。私がそっと揺り起こすと、ああ、怖い夢だったとつぶやいて、またすぐすやすやと子どものように寝入ってしまいます。
私はその寝顔から目が離せなくなる。職業軍人の夫に仕え、三人の息子達のためだけに生きてきたような母でした。私は、母が怒ったところを一度しか見たことがない。我が家には兄と私と弟それぞれの友だちがいつも大挙して押しかけていましたが、そんなある日のこと、もともと病弱だった母はよほど疲れていたのでしょう、「わたしは女中じゃない!」と悲鳴のように叫んだのです。
その声は、いまだに私の耳の奥に残っています。弱いもの、困っているものにはいつもそっと寄り添ってあげる母でした。そんな心優しい母が、どうして悪夢に夜毎うなされなければならないのか。朝起きると、昨夜窓から人が入ってきた、大勢の人が窓から覗いて手を振っていたとか言うことがあります。
母は毎晩、あの世とこの世を行き来しています。私にはそんなふうに思えてならないのです。おそらく、来年の夏の恒例行事はないだろう。そんな気がします。あと1ヶ月間。私は残された時間を精いっぱい母のために使いたい。そして、71年間の思いの丈を込めて、母に甘ッ垂れたいと思っています。
(2013年のブログより)